『ここはすべての夜明けまえ』/間宮改衣 あらすじ・感想
「読後にはどんな景色が見えるだろうか」
こんにちは。今回は『ここはすべての夜明けまえ』を紹介します。
作品情報
・作者 間宮改衣(まみや かい)
(本作がデビュー作)
・出版社 早川書房
・形式 長編(単行本)
4行であらすじ
だったらわたしはもとから人間じゃなかったのだ。
融合手術を受けることによって老化しない身体を手に入れた「わたし」。
九州の山奥に一人住む彼女はこれまでの家族史を書き始める。
それは100年前、父親から手術を勧められた時から始まり……
想像もつかない人生を主人公目線で追体験してゆく唯一無二の小説。
感想
融合手術とは体をマシン化することです。これにより「わたし」は食事や生理現象が必要ない、25歳のままでいる体を手に入れます。そんな手術を受け入れられたからか、「わたし」の綴る文章は常に淡々としています。
例えば、融合手術に対する周りの反応の中には良くないものもあるのですが、「わたし」は、この人はこう感じているようだった、この人はこんな顔をした のように書く。それは他人の感情を対象とした観察結果のようで、内容に対しては感情が向けられていないのです。
ただそんな文体だからこそ、本書に登場する重い事柄(性的虐待、介護、尊厳死など)を扱えるのかもと思いました。淡々としている文体は、周囲の反応を浮き彫りにさせる。ひいては読み手である私達がどのように感じとり、考えるのかが試されるのではないかとも感じました。
本書の文章は、設定上ひらがなが多いものとなっています。それゆえ読みにくさを感じる人もいるかと思います。しかし、その読みにくさに耐えて、ゆっくりとページをめくってほしい。この本の最後にある景色はこの本でしか見られないものだと思います。
私の読み方
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感情を乗せる
「わたし」が好きな曲として2つのボカロ曲(簡単に言うと歌声合成技術ソフトウェアを用いて作られた楽曲)が登場する。
聞いてみると分かるが、この2つの曲は夜明けに視線が向けられている。『ここはすべての夜明けまえ』という題にも符合する。
何故、2曲のボカロ曲が使われたのか。こう考えた時、私はとある番組を思い出した。それはボカロ曲の魅力を特集したもので、その中で登場した(確か)海外の教授が述べていたことが印象的だった。
曰く、ボカロ曲の魅力は透明な歌声に自分の感情を重ねられることにある、だそうだ(発言内容が多少変わっているかもしれませんが、ご容赦を)。
それを踏まえると、「わたし」はこの環境に自らの夜明けを重ねていたのだろう。食べては吐くのくり返しであった手術前の生活。そこから脱却できる希望を重ねやすいのがこの2曲だったのかもしれない。
そんな彼女からしたら、手術を受けることは朝日が差し込むようなものだっただろう。しかし、彼女は最後で自らの生き方、シンちゃんとの関わり方に問題があったことに気づく。そのうえで生きることを決意し、「それじゃあね。」と告げる。新たな夜明けを見つけることが、この物語の終わりなのだろう。
一方でこの物語もまたボカロ曲と同じ役割を持っているのではないだろうか。「わたし」の感情はほぼ抑えられ、また名前も明かされない。物語を読んであなたはどのような、何からの夜明けを重ねるのか。そんなことが問われているのかなと感じた。
今回はここまで 。
読んでいただきありがとうございました。また次の本で。
『ババヤガの夜』/王谷晶 あらすじ・感想
「暴力描写に食い入るなんて……」
こんにちは。今回は王谷晶『ババヤガの夜』を紹介します。
作品情報
・作者 王谷晶(おうたに あきら)
(他作品『完璧じゃない、あたしたち』『他人屋のゆうれい』)
・出版社 河出書房
・形式 長編(単行本、文庫本)
4行であらすじ
綺麗だな、地獄って
暴力を唯一の趣味と称する新道依子は、ケンカの強さから暴力団に目をつけられる。
彼女は会長の娘である尚子の運転手兼護衛を半ば強制的に務めることに。
はじめは険悪な関係の二人だったが、次第に依子は尚子の過酷な環境を知り……。
読むだけで血の匂いが立ち込めるような、それでいて疾走感のあるクライム作品。
感想
不穏な暴力性を感じる書影。話の展開を想像しながら本を開いたのですが、序盤から血や暴力の描写が連なっており、衝撃を覚えました。
本作で一番魅力的に感じたのは暴力の描写。体躯の使い方、目線、思考が新道の目線から仔細につづられており、目をそらしたくなるはずの暴力シーンを食い入るように読んでいました。まるで格闘技を見ているかのような緊迫感と興奮、そして爽快感さえも感じました。
はっきり言って読む人を選ぶ作品かと思います。暴力団を題材にしていることもそうですが、血なまぐさくグロテスクな描写だったり、男性優位な環境が描かれるシーンも多々あります。暴力の描写にしろ、拒否反応を示される方は一定おられるでしょう。
一方で、それらを読める人にとっては本書の中毒性にはまるでしょう。疾走感ある展開で成り立っていく新道と尚子のシスターフッズ(女性同士の連帯関係)。そして読み進めるとたどり着く予想外の衝撃。
暴力の残虐性を描くだけではない本作に興奮と衝撃を抱くことになると思います。
私の読み方
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・ババヤガ=新道/尚子?
本書の題名にも入っている「ババヤガ」。しかし本文では一切その単語出てこない。発音が近い言葉に「バーバ・ヤーガ」という言葉が登場する。英語の表記はBaba Yagaであるため、ババヤガはこれをローマ字読みしたものだろう。
バーバ・ヤーガとはスラブ神話に登場する魔女のこと。鶏の足の上に立つ小屋に住み、助けを求めた人々に試練を与えるという。しばしば悪役として描かれるが、良いこともするという。
ここまで書くと気づかれると思うが、これは新道が語った鬼婆に酷似している。
バーバ・ヤーガは人に試練を与えることから、既存の仕組みを壊す者として捉えられることもあるという。一見すると新道と尚子はバーバ・ヤーガのように生きていたように映るが、私は少し違うとも感じた。
二人は家族でも他人でもない独特な関係性で生きてきた、そして尚子は性別に対して自由な発言もしている。
しかし、周りはその二人に何かしらの記号をつけ、二人はそれに従って生き続けてきたのである。彼女らは自由に生きつつも、既存の枠にはまっているように生活していたのである。心の中にバーバ・ヤーガを飼い続けていたといえるかもしれない。
新道と尚子の間柄をあえて言葉にするならば、二人が鬼婆であり続けるためのも関係と呼べる。互いの存在があることで二人は社会に生きつつも、その実鬼婆となっていることを自覚できる。だからこそ衝突もせず、何十年も共に生きてこられた。
「私はまともじゃない」そう言っていた新道は、まともじゃなくても生きていけるということを尚子と共に知ったのだろう。
今回はここまで 。
読んでいただきありがとうございました。また次の本で。
『この闇と光』/服部まゆみ あらすじ・感想
「恍惚も、驚愕も、読者を掴んで離さない。」
こんにちは。今回は服部まゆみ『この闇と光』を紹介します。
作品情報
・作者 服部まゆみ(はっとり まゆみ)
(他作品『一八八八 切り裂きジャック』『時のアラベスク』)
・出版社 角川書店
・形式 長編(単行本、文庫本)
4行であらすじ
ダフネから最初に言われた言葉は「死にたいの?」だった。
小さい頃に視力を失ったレイアは、森の奥に囚われた王女としての生活を送る。
レイアは侍女ダフネを恐れつつも、父からの愛を受けながら成長する。
王女としての優美な生活……それは「ある時」を境に瓦解していく!
予測しえない衝撃の展開を耽美な世界観で包み込んだ一作。
感想
正直ネタバレなしで感想がすごく難しい作品……。
抽象的な文になってしまいますがご容赦を。
本作の魅力は2つ。1つ目はレイアの暮らす幻想的な世界観。
本書の半分ほどは、レイアの王女としての生活が美しく描かれます。
レイアの「見る」世界は、嗅覚、触覚、聴覚にあふれ、その克明な描写に私の想像力は刺激され続けました。文字を頼りにレイアの豊かな生活に想像を張り巡らすのはとても心地よい時間でした。
二つ目は予測不能な展開。
本書のもう半分はあらすじでも触れたように、予測不可能な展開が待っています。
美しい世界観にうっとりしていたところに、突然予想外の驚きが襲います。
実際には伏線がいくつか張らられていたのですが、決して展開が見破られないように絶妙な記述が採られています。再読時には、作者の書き方の上手さに感嘆するばかりでした。
少しでも気になった方は、本書を手に取ってみることをおすすめします。衝撃に満ちた読書体験を望むならば後悔は決してしないはずです。
私の読み方
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・光と闇の逆転
「啓蒙」という言葉がある。啓は開く、蒙は暗いを表し、「人に正しい知識を教え導く」という意味である。差別的なニュアンスがあるとみなされることもあるようだが、この言葉は本作にぴったりの言葉だと思う。
世間の人、とりわけ怜の家族からすると、レイアとしての生活を闇、怜としての生活を光のように感じられただろう。だとすれば目の手術は闇から光の世界へ「目を開かせる」行為、まさに啓蒙に相当する。
しかし、ここで肝心なのが怜にとって光の世界は、欺瞞に満ちた暗澹とした世界として映る。光の世界において、怜にこのような洞察を与えたのは、皮肉なことに闇の象徴ともいえるレイアとしての精神なのである。
周りから見ると闇から光と導くはずの行為は、ただレイアを光から闇の世界へと突き落とす行為へ逆転するのである。
そして「ムーンレイカー」では、怜の中にレイアが定着していることが伺える。闇の世界ならば馬鹿者は「父」だったのかもしれない。
しかし、怜の推論が確実にならない以上、光の世界では馬鹿者は怜になるのだろう。少なくとも「父」の最後の台詞はそれを物語っているように感じた。
今回はここまで 。
読んでいただきありがとうございました。また次の本で。
『ありか』/瀬尾まいこ あらすじ・感想
「この本があれば、いつでも元気になれる」
こんにちは。今回は瀬尾まいこ『ありか』を紹介します。
作品情報
・作者 瀬尾まいこ(せお まいこ)
(他作品『そして、バトンは渡された』『夜明けのすべて』)
・出版社 水鈴社
・形式 長編(単行本)
※『そして、バトンは渡された』はこちらから
4行であらすじ
子どもは幸せになるのが仕事みたいなものかもね
5歳の一人娘ひかりを育てているシングルマザーの美空。
同性が好きな義弟の颯斗の助けも借りながら、ひかりを慈しむ日々を送っている。
交流関係が広がる中で、愚痴を吐きに来る母に美空は頭を悩ませることに……
読んでいるだけで穏やかな時間に包まれる幸せにまみれた一冊。
感想
子どもがいることで生まれる多幸感。何気ない一日が明るく色づけられていく感覚。
この本は、そうした感覚のおすそ分けをしてくれるような作品でした。
保育園に通うひかりは、本作において最も大事な存在です。
おままごとに興じたり、美空がつくる料理を楽しんだり……。ひかりの行動一つ一つに、天真爛漫なひかりの性格が表れており、読んでいるだけで癒されます。
また、美空から見たひかりの描写から伝わってくるのは、美空がひかりを本当にかわいがって、愛しているのということ。子育ての経験はなくとも、美空の充足した気持ちが伝わってくるようでした。
どんなに寂しい日があったとしても、この本に収められたエピソードの数々を思い出すだけで、胸が暖かくなるような気がします。
ひかりの愛らしさと対比して書かれるのは、美空と母の関係です。この二人の関係は良好とは言えず、美空ーひかり親子と対を成しています。
物語が進むにつれ、この差は「自分の子供だからといって愛せるのか?」という問いを孕んできます。美空が自分の母とどう向き合っていくのか。本作は子供を持つということを正面から捉えたものでもあります。
子どもを持つということのありのままが、一冊に閉じ込められていると思います。
ずっと手元に置いておいて、自分のこころの拠り所にしたい。読んだ直後そう思えた作品でした。
私の読み方
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この本を読むにつれ、私は好きなエピソード、言葉が次々と増えていった。
例えばひかりの言葉で特に印象的だったのはこの一言。
この家、幸せ多すぎだね。
ひかりは幸せを見つける天才なんだなと感じ入った。それは冬休み後の場面にも表れている。
冬休み行ったところとして、友達がディズニーなどを挙げる中、ひかりは美空とのキャンプを自分だけの体験として誇らしげでいる。他人と比べるでなく、自分が楽しかったことをそのまま幸福として受け止めている。
「ひかりが」天才なのではなく、「子供が」そうなのかもしれない。
颯斗の台詞で印象的だったのは、
どんなやつらだって、今目の前にいる子どもたちにいつか助けられるんだよ
彼は時々口が悪くなるが、その時は誰かへの愛が隠れている。
(「くそばばあ」だって、美空を大事に思うからこその発言である。)
この台詞も同じで、颯斗は本当に子どもが好きなんだなと分かる。「子供は宝」とはよく言うが、私は颯斗の言葉の方がずっと心に残った。
子どもは現在そして未来に渡って、周りの人を助けてくれる存在である。そう思わせてくれるだけの力がこの本に詰まっていた。
今回はここまで 。
読んでいただきありがとうございました。また次の本で。
『コンビニ人間』/村田沙耶香 あらすじ・感想
「まるで現代の写しかがみ」
作品情報
・作者 村田沙耶香(むらた さやか)
(他作品『ギンイロノウタ』『地球星人』)
・出版社 文藝春秋
・形式 長編(単行本、文庫本)
4行であらすじ
世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった。
コンビニバイト歴18年の私こと古倉恵子。好きな人もいないまま36歳になる。
コンビニ店員でいる時だけ、私は世界にとって正常な人間になることができるのだ。
そんなある日、コンビニ店員に婚活目的の白羽がやってきたのだが……
普通に生きるとは何か?コンビニという身近なフィルタを通して問い続ける一作。
感想
本書ほど読んでいてここまで衝撃を受け続けた作品は初めてかもしれない。
読み終わった今、そう感じています。
現代社会に溢れたコンビニ。通常私たちはコンビニ店員をそのような役割(職業)と捉えることはあっても、そこに個性を見出すことはしないと思います。しかし、主人公の人の古倉は、彼女自身とコンビニ店員の境目がまるで存在しないのです。
夢の中でもレジを売ったり、友人と話していてもコンビニの仕入れ時間を意識したり…。このように彼女の私生活がコンビニに染まっているのです。
このようなシーンが淡々とした文体で所々に描かれるので、彼女の生活、身体がコンビニと同化しているかのような奇妙な印象を受けました。
そんな主人公がぶつかるのは、普通に暮らすということ。友達、家族から、就活や結婚の話が出る度に世間にある普通の生き方に煩わされることになります。
古倉の視点から見る世界では、普通が呪縛であるかのように重苦しく感じました。読んでいる私もその規範の中にいることを意識し始めた時は恐ろしくもあります。
私見ですが、「自分は全くの普通でないにしろ、そこまで世界から逸れていない」と思っている人が多いのではないでしょうか。(私はそうです。)
本作を読んでいると、その普通や正常さが異常な形で成り立っているのではないかという疑問を抱くことになります。比較的薄い本ながら、強烈なメッセージ性を持ったストーリーだと思いました。
私の読み方
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全編を通じて私は、「治す」という言葉がひっかかっていた。
この単語は、正常な姿を理解しつつも、古倉自身の力ではどうにもならない現状に対する世間の暴力性や、古倉の焦りが見える。それが生々しく表現されているこの言葉に、私は目をそらしたいほどの苦痛を感じた。
正常というものはマジョリティ(数、支配力のいずれの面でも)のものであって、それ以外のものは異常してみなされる。近代以降、この異常性を持つものは正常との共存ではなく、治療の対象となってきた。
以上はミシェル・フーコーという1900年代の哲学者が唱えたことの一部をかなり簡略してまとめたものだ。(誤りがあったら、申し訳ございません)
彼が唱えたことが、本作の「治す」と深くかかわっていると感じた。
古倉が友人と恋愛について話すシーンで、恋愛経験がないといった古倉に対して、ミホがセクシャリティに言及する場面がある。
これは一見すると、現代の多様性を象徴しているように見える。しかし、当の古倉はそもそもセクシャリティという概念が自分のうちにないのである。
これは、正常とする範囲が拡大しただけで合って、依然として正常異常の構造が解消されていないのである。
結局のところ、マジョリティから見る以上、古倉を勝手解釈することしかできないのである。だから、古倉が治療を望んだとしても意味はない。(ここでの治療は、マジョリティ視点でしか行われないものだから。)
それよりも、コンビニ人間としてマジョリティ、マイノリティの型にはまらないアイデンティティで生きることの方がよっぽど充実している。
古倉は社会を変えたわけではないが、社会が想定しない生き方で生き始めた。その意味で私はこの話をハッピーエンドだと思う。
※当欄におけるフーコの下りは以下の本を参考にした。
フーコー以外の多くの哲学者の思考も分かりやすく紹介されているのでぜひ。
今回はここまで 。
読んでいただきありがとうございました。また次の本で。
『その本を盗む者は』/深緑野分 あらすじ・感想
「本に入り込めたら、と思ったことはありますか?」
こんにちは。今回は深緑野分『この本を盗む者は』を紹介します。
作品情報
・作者 深緑野分(ふかみどり のわき)
(他作品『ベルリンは晴れているか』『スタッフロール』)
・出版社 角川書店
・形式 短篇集(単行本、文庫本)
4行であらすじ
深冬ちゃんは本を読まなくちゃならない
書物の蒐集家であり、読長町の名士であった祖父を持つ高校生の御倉深冬。
父が管理する巨大な書庫「御倉館」には、本泥棒に対する"呪い"がかかっている。
その名はブック・カース。町全体が物語の世界に包まれるというものだった……
本が盗まれたとき、町中を巻き込んだ冒険が始まる! 胸躍るファンタジー譚。
感想
「もし自分がこの本の世界に入り込めたら……」
小さい頃、そんな妄想をしていました。本書を読むなかでその時の記憶がよみがえり、ワクワクしながらページをめくりました。
深冬が冒険する本のジャンルは、ハードボイルドやマジックリアリズムなど幅広いものがあります。深冬の物語として連続してはいるものの、一編一編ごとに全く違う世界が現れるので、一つの章を読み終えても飽きることなく、次の章へ期待を膨らませっぱなしでした。
各世界には特有の道具が登場します。また、色や質感の描写にも気を使っており、各世界観の強調と書き分けがなされています。紙面上の文字を追う過程で、舞台の映像が自然と頭の中に浮かんできます。各世界に思いを馳せられるのも本作の魅力的なところだと思いました。
私の読み方
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本作のスピンオフが、『空想の海』に収められている。題は『本泥棒を呪う者は』。
今回はここまで 。
読んでいただきありがとうございました。また次の本で。
『近畿地方のある場所について』/背筋 あらすじ・感想
「あなたはこの本に何を思いますか?」
こんにちは。今回は背筋『近畿地方のある場所について』を紹介します。
作品情報
・作者 背筋(せすじ)
(他作品『穢れた聖地巡礼について』『口に関するアンケート』)
・出版社 角川書店
・形式 長編(単行本、文庫本)
※単行本と文庫本で内容が異なります
↓こちらの記事もどうぞ
4行であらすじ
わたしを見つけてくださってありがとうございます。
本書に収録されているのは、近畿地方のある場所に関する数多のテキストである。
この本の編集を手掛けた私は、知り合いの記者と共にこの地域を調査していた。
しかし、その記者は姿を消してしまった。あなたは何か情報をお持ちではないだろうか?
ページをめくるたびに日常が侵食されていく……。戦慄のモキュメンタリー作品。
感想
読めども読めども恐怖が緩まることがない。それどころか不気味さが増していくような一作でした。
本作はモキュメンタリ(フェイクドキュメンタリ)ですが、実在する地域にまつわるの怪異談を収録したかのような印象を受けました。
そんな本作の魅力は2つ。
1つは媒体による書き分け。
ネットや雑誌、ほかの媒体でも、特有の語彙(スラング)や言い回しが存在します。本作には、掲示板、メール、雑誌などのテキストが登場しますが、そうした語彙を巧みに使い分けています。
加えて、個人個人で異なる書き方の癖をあえて目立たせることで、印字されている文章の奥に、何人もの人間の手が加わっているかのような錯覚を受けました。
2つ目は情報の展開です。
ばらばらに配置されているかのように感じる怪異談。しかし、ページをめくると一か所に収斂していくことがうっすらと感じられるようになります。
そこに作為的な誘導があることを予見しつつも、怪異の先に真相があるかのように感じられて、怖いはずなのに読書を中断することができませんでした。
興味はあるが、ホラーが苦手な方へ。
各セクションはすぐに読み終わりますが、少なくとも寝る前に読むのは控えた方が良いかもしれません。
あと、挿絵が3つほどあるので、苦手な方は注意を。
(ちなみに、私は初読の時は手や栞で隠してました……)
単行本と文庫本の違いは?
どちらも近畿地方の●●●●●に迫るという方向性は共通しています。
しかし、その構成やストーリー、結末、巻末の袋とじが大きく異なっております。また、怪異談の一部は片方の方にしか存在しません。そのため、読後に感じる「真相」には違いが生じると思います。
単行本はモキュメンタリの色が強い一方、文庫本はそこに小説の要素が加わっていると感じました。さらに言うと、文庫本では虚しさや切なさといった感情も抱きました。
怪異の先に何があるのか。
本文に仕掛けられた仕掛けも併せて、ぜひ確認してみてください。
この本どうですか?
『残穢』小野不由美
今回はここまで 。
見つけていただきありがとうございました。また次の本で。